自分が自分であるのは*知性、論理、思考、意味、イメージ、意識、心、本質、質、味わい、価値、などの研究#72~6*イメージ思考でいこう*人が自分であるのは 自分が自分であるのは何によるのでしょう 普通こうみなしているのではないだろうか 顔・姿形、生まれ育った環境、周りの人たちとの関係、学んできて身についたもの、記憶、経験、性格・性質、性別、考え方、才能・能力、実績、など、それらがいっしょくたになったものが自分である、と。 ところが事実はそうではありません 自分が自分であるのは、「意識の主体」によるのです ここでいう意識とは、もっとも基本的な概念(心でつかむ内容。考えるための基本的内容)である、「意識がある、意識がない」という表現における「意識」のことです。 起きていれば「意識がある」、眠っていれば「意識はない」の「意識」です 「意識の主体」というのは、そういった「意識そのもの」あるいはそういった「意識」が存在する系・領域・範囲(たとえば脳の一部とか霊魂など)のことをさします。 繰り返すと、自分が自分であるのは、そういった意味の「意識の主体」によるのです なぜそういうことがわかるかというとこうなります まず、自分が生まれてすぐ養子にだされていたとしたら、現在の自分と比べてその人は多くの点で異なっていたことになる。それでも自分が自分であることは変わらない。 なぜ変わらないのかというと、「意識の主体」が同じ・変わらないからです 先に述べたものの多くが異なっているにもかかわらず自分というものは変わらない 一人の個人においてその「意識の主体」は一生変わらないというのは公理である さらに、脳細胞は毎日かなりの数が欠落していっているし、記憶においてもいろいろ忘れていくのに、自分が自分であることは一生変わらない それは「意識の主体」が自分であるからです 意識の主体以外の、「顔・姿形、生まれ育った環境、周りの人たちとの関係、学んできて身についたもの、記憶、経験、性格・性質、性別、考え方、才能・能力、実績、など」はいくら変わろうとも、変化しようとも、自分は自分なのです 意識の主体が自分だから、自分は自分なのです つまり、自分の顔が変わろうとも意識の主体が同じなら自分は自分 自分の姿形が変わろうとも意識の主体が同じなら自分は自分 自分の生まれ育った環境が変わろうとも意識の主体が同じなら自分は自分 自分の周りの人たちとの関係が変わろうとも変わろうとも意識の主体が同じなら自分は自分 自分の性別が変わろうとも意識の主体が同じなら自分は自分 自分の考え方が変わろうとも変わろうとも意識の主体が同じなら自分は自分 ということです 言いかえれば、「意識の主体」以外の自分はどうにでも変わることができるのです。 質の科学では、霊魂はあってもなくても転生があることの証明のようなものがあり(ただし完全に検証されているわけではありませんが)、人は転生していって正反対になっていく、となります。 正確にいうと、ある体験をしたら将来必ず正反対の体験を同じ量体験することになる、という法則が質の科学にはあるので、質の科学でいえば、その法則のもとに人は転生していく、となります。 (転生を認めない立場でも、意識の主体にはすべての体験の痕跡が残り、その痕跡という変化が限度を越えるとその意識の主体が壊れるので、壊れないために、正反対の体験をしてその変化を元に戻し、意識の主体を壊さない仕組みがある、一回の生の中で、ということになります) そういった体験の中で一回の生で変われないもの、つまり顔・姿形、性別、などは、転生して正反対になっていく、となります。 |